Memoria dell'Isola Bella
「俺を覚えていてくれよ」
誰に言われた言葉だったか思い出せない
けれど忘れられない台詞
祭りの季節になると思い出す
「ただいま……親父殿は?」
オベルの島の高台にある邸宅に戻ったベルナデットが、出迎えた執事に小声で尋ねた。
祭りの夜はどの家も明かりを絶やさないが、夜半に差し掛かろうという頃には、島は静かな微睡みの空気に包まれていた。
「お一人でお出になられました。……裏の川べりまで」
今日は年に一度の群島諸国最大の祝祭の日だ。ベルナデットは先のファレナ解放戦争で新女王と王兄を助けた功績を称えられ、オベル王の先導するパレードの一員としてスカルドと共に衆目を集め、日が傾いてからは豪奢な宴席に付き合わされていた。
ようやく解放されてみれば、父親であり上官であるスカルドは先にその場を辞していた。
夜更けに再び出掛けていった事に疑問を感じたが、自分も酔い醒ましを兼ねて文句の一つでも言おうかとベルナデットが門を出る。
群島解放戦争の終結を寿ぐことに始まった祭りには、鎮魂の意味もある。
昼間パレードが歩んだ大通りから王宮の前庭、人々の家がひしめく路地裏まであらゆるところに蝋燭が灯され、小舟を模した灯篭が川や海に浮かべられる。
戦争の惨禍は遠くなろうとも、今年も亡き人を想う灯篭が海へと流され、陸の蝋燭や提灯の明かりと共にオベルの島を照らしていた。
家を出てすぐの小さな川の支流、静かなせせらぎと木立が心地よい場所に、スカルドの姿を見つけた。
辺りは静かで、他に人の気配はない。
なだらかな勾配の向こうに遥か港の明かりが見える。
「親父殿」
近くまで来てから声をかけると、スカルドの手に火が灯った灯篭がある事に気が付く。
「その灯篭……」
誰の、と聞こうとして酔いが覚めたように目を見開く。
「…………兄さん」
「判ったか」
ベルナデットの兄姉は行方知れずの長兄を除いて健在のため、それが誰を指すのかは明白だった。
「それと…………義姉さん?」
他国の女王をそう呼んでいいものか迷ったが、それが彼の国でベルナデットが知った事実だった。
優しい目でスカルドが答える。
「その妹君もな」
灯篭をその手から静かに水へ浮かべるスカルドの横顔に、ベルナデットがつぶやく。
「…………女王騎士の方々が」
「私が、よく知る誰かに似ていると言って……」
その後は、パズルのピースがはまっていくような幾つかの「答え合わせ」の出来事を経て、辿り着いた真実だった。
「おまえもフェリドも……あの国で歓迎されたようだ」
何か言おうとしても上手く言葉が出てこないベルナデットの頬を、一陣の風が撫でた。
灯篭が、流れに乗って静かに海へと向かってゆく。
それを目で追うベルナデットの耳に、あの声が聞こえた。
「俺を覚えていてくれよ」
「……兄さん!」
スカルドが突然声を上げた娘を見やると、ベルナデットが驚きの表情をして見つめていた。
「親父殿……私、兄さんと、お祭りを見ていた!」
スカルドも驚き、記憶を辿る。
「私、多分……どこか高いところから、兄さんと……」
「…………はっはっは!!」
思い当たったスカルドが、大きな笑い声を上げた。
声を抑えてひとしきり笑い、そして心底愉快そうな顔をしながら、そのときの顛末を明かしてやる。
「……そうだな、よく覚えていたな? おまえは確かにあいつと見ていたよ」
「おまえはまだひとつかそこらで、やっと歩き始めた頃だったか。そんなおまえをおぶって……あいつめ、火の見櫓のてっぺんまで登っていきよった」
街と港を見下ろす特等席で、風に吹かれながら兄と見た景色。その時の兄の体温と、悪戯っぽい声が蘇る。
「ベル、見えるか?」
「綺麗だろ。……来年は居ないかもしれないからな」
「俺を覚えていてくれよ」
「……やっと思い出した」
「ごめんね、にいさん…………」
そう言ったきり涙を止める事ができないベルナデットの背中を、スカルドが撫でた。
「…………綺麗だな」
暫くその場に佇んで、川面とその先にある海の灯りを見ていた二人の周りを、蛍の小さな光が漂っていた。