凍星   >      >

鈍色の糸

「よし」
 できたぞ、と促されネリスが自分の襟足の感触を確かめる。
 髪型にさほど変化はないが、器用に剃刀で削がれた毛先の分量が減っているのがわかった。
「……ありがとうございました」
 白いインナーシャツだけになった上半身の首元に巻かれた手ぬぐいを外して払うと、ハサミで切り揃えられた短い毛がぱらぱらと舞った。
「ちょっと貸しな」
 ヤールが手ぬぐいで首の後ろと肩についていた残り毛を払ってやる。
(裸でやれば簡単なんだけどな)
 性的嫌がらせととられかねない言動は慎みつつ、さっさと事を済ませる。
「おまえさん意外と量が多いよな」
「ええ、放っておくと広がってきてしまって……」
 借りてきたほうきで床を掃きながら答えたネリスの手が不意に止まる。
「……どうした?」
「ヤール殿は……ずっと、切らないのですか?」

 鋭利に立てた前髪に加え、高い位置で結った髪を下ろせば結構な長さになることは、ネリスも実際に見て知っていた。
「……たまに切ってる」
「自分で?」
「ああ」
 そう言うと、さっきネリスの毛先を整えたハサミを手に取り、結んだ髪を掴む。
「俺のは簡単だぜ。……ここで、こう」
 言うや否や、肩越しに摘んだ毛束の先端を無造作に切り落として見せた。
「なっ……」
 あまりのぞんざいな仕草に、ネリスが呆気にとられる。
「……だから、そんなに乱雑なんですか」
 毛先が……と呆れたようにつぶやきながら、新たに床に散った鈍い銀髪を掃き集める。
「簡単でいいだろ」
 肩を払いながらそう笑うヤールに、ネリスが
「……それ以上は、短くしないんですか」
 と問いかけた。

 伸ばしても整える訳でもなく、さらに面倒を嫌うヤールが長髪を維持している理由が気になっていた。
 なんとなく今まで聞かずにきた疑問を、口に出してみるタイミングが巡ってきた、ような気がした。

「……願掛け、かね」
 返ってきた言葉は意外なものだった。
「願い事……?」
 次の言葉を待つネリスに、ヤールが口を開く。
「俺の親父はさ……今の俺よりちょっと上くらいの歳で、死んだんだ。俺より長いざんばら頭で……俺よりいい加減だったな」
 更に語られる意外な挿話にネリスが目を見開き、ただ聞き入る。
「こいつも、元は親父のだ」
 そう言ってヤールが怒れる竜の紋章が宿る右手を示す。
「俺はアホなガキだから、ついぞ敵わなかった。……だから、せめて」
 過ぎ去った時間を見つめるようにヤールの目が遠くなる。
「あいつが生きたより長く生きられたらな、と」

「ま、そういう対抗意識だな」
 そう言ってネリスの方を向いたヤールの顔はいつもの半笑いを浮かべていた。
 言葉を無くしたネリスが、やっと声を絞り出す。
「その、紋章……お父様から……」
「お父様なんて上等な人種じゃなかったけどな」
「すみません。そんな……理由があったんですね」
「べつに、大した事じゃねえよ」
 整った顔を深刻に歪めてみせるネリスを諫めるように言い捨てる。

「……これ、毛が目地に入り込むな」
 止まっていた手元を覗き込んだヤールが床に目を留めて言う。
「やっぱり外でやった方がいいな」
「そうですけど……」
 薄着で上司に髪を切られている現場を人に見られるのは、ネリスとしては抵抗があった。
「じゃ、風呂場」
「…………」
 条件反射のように代案を出したヤールに、ネリスが一瞬むっとする。
「おい、なんだその目は……別に俺がやるって言ってないからな」
「あ、当たり前です!もうっ……!」

 「じゃあその汚いものを見る目はなんだよ」
 「そんな顔してません!」
 ムキになってほうきを動かすネリスの足元で、紺碧と銀鼠の毛が踊っていた。


2022.6.14

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