凍星   >      >

遥かの海  Mari lontani

「海の向こうには、何があるの?」
 隣に腰掛けた少女に問われ、若い軍人は一瞬言葉に詰まった。
「……あっちには、モルド島。そのもっと先はミドルポートと……」
 二人が居る高台の庭に設えられたテーブルから見える景色の先を教えてやる。
「もっと向こう」
「もっと……っていうと、ガイエン」
「ううん」
 少女が首をふる。
「もっとずうっと先。船で行けないようなところ」
「船で行けないんじゃ、誰も知らないでしょう」
 軍服がまだ板に付いていないように見える青年は、お伽噺かよ、と内心呆れつつ、耳を掻きながら口を開いた。
「……漁師たちなんかは、神さまの島があるって言いますね」
 好奇心ににわかに少女の目が輝く。
「だから、まあ島にもよるでしょうけど、軍隊とは違ったしきたりがある」
「ヤールは信じてる?」
 真っ直ぐな瞳で問われて、青年はまた言葉を濁す。
「俺は……さあ、どうだか」
「なら、ヤールは何があると思う?」
 更に問う少女の、年齢に似合わぬ気迫に押されてヤールが答えた。
「…………死んだ人たちの国、とか」
「ああ……海で死んだ人は、お舟で帰されるのよね」
 父親や兄たちに教えられたのであろう、群島諸国連合艦隊の将の娘は動じずにそう応えた。
「ほんとうは……何があるのかな」
 遠くの水平線へ目を凝らす姿の真剣さに、ヤールが思わず小さく笑みを漏らした。
「ベルナデット様も、海へ出るんで?」
 その声に振り向いた少女は即座に答える。
「うん。今決めた!」
「ええ……ちょっと、俺が焚き付けたみたいじゃないですか」
「でも私が決めたの!」
 そう叱りつけるように言うと、椅子から降りて庭を囲う柵に駆け寄る。
「そうよね、自分で見に行けばいいのよ。父さまも心配だし」
 柵を掴んで眼下の海を見るベルナデットの髪の先を、海風が揺らす。席を立って付いてきたヤールが背後から同じ景色を眺めた。
 帆船が飯粒のように見える遥かな遠くまで、雲間から差す午後の陽を受けて光る波が揺れる。だがその先に何があるのかは、軍人になりたてのヤールにも解りきっていた。
(ただ、戦争をしたがってる国がいくつもあるだけだ)
 そしてそれが彼女が海へ出る頃にも変わっていないであろう事も。
 けれど、もしかしたら。何か素晴らしいものを見つけられるかもしれない、この娘なら。そう思わせる意志の力のようなものを、ヤールは隣で感じていた。


2023.8.26

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