凍星   >      >

霹靂の夜  tempesta

「やっ…………!!!」
 激しい明滅とほぼ同時に轟音が起こり、それに掻き消されそうなネリスの悲鳴が聞こえた。
「…………すげえな、近い」
 比較的遮音性が高い城の中にまで轟く低い音の余韻にヤールが呟くが、衝立の向こうから応答は無かった。
 代わりに無言でこちら側へ顔を出したネリスにヤールが驚く。断りもなく現れた部下の顔は明らかに強張っている。
「ヤール殿………………ッ……!!」
 言いかけたところで再び雷が咆哮を立て、ネリスの肩が跳ねた。
「……どうした」
 ベッドから起き上がりヤールが尋ねると、ネリスが強く目を瞑って声を絞る。
「わ……私、…………雷、駄目なんです」
 声だけでなく全身まで今にも震え出しそうな怯えたネリスの様子に、ヤールはからかう気も起きない。
「……大丈夫か?」
 光が怖いならこっちに座るか、と問いかけたところへまた背後から破裂音が響き、ネリスが反射的にヤールの腕を掴んだ。暗い部屋に轟々と音が尾を引く間、互いに無言で固まる。
「すみません…………あの……」
「……よっぽど怖いんだな」
 こわごわと手を離したネリスを自身のベッドへ座らせて、その隣にヤールも並ぶ。
「いいさ、何かに掴まってた方が落ち着くんなら……掴んどけよ」
「……はい」
 風と雨が暴れる音が激しさを増していく中、ただ怖いと言うには余りあるネリスの常軌を逸した様子に、ヤールはかつての任務中の出来事を思い出していた。
 ネリスが着任して間もない頃、紋章砲の捜索に赴いた山中で雷雨に見舞われた。雨を凌ぎながら身動きのとれない中で、いつになくネリスが頑なな態度をしていた気がする。あれは、ヤールに対する嫌悪や任務への焦燥ではなく、必死に耐えていたのではないか。震える程の雷への恐怖に。
(何があったか知らないが……難儀だな)
 あの日のネリスの表情を思い返して、ヤールが溜息を殺す。その瞬間、室内に閃光と共に雷鳴が響いた。下を向いてヤールの服の膝上あたりを掴んだままのネリスが背を丸めるのを憐れに思って、ヤールが思わず右手を置くと、静かにさすってやる。背中に伝わる腕と掌の温度に、ネリスが目を見開いた。
「っ……すみません…………」
 泣き出しそうなネリスの肩を少しだけ抱き寄せて、そのまま背を撫でてやる。子供を諭すかのように優しく。
 恐怖の中にいるネリスを、確かな温もりが慰めていた。

 夜が明けると雷雲は去って曙光が湖を照らした。
 遅れて起床してきたネリスが、回廊の端でヤールに深々と頭を下げる。
「本当に……申し訳ありませんでした」
「何が」
 耳を掻きながら応えるヤールに、ネリスが困った顔をして言う。
「その……昨夜……みっともないことを……」
「しょうがねえさ」
 あっさりと返すヤールにネリスが戸惑う。
「誰にでも苦手なもんはあるだろ。まあ……おまえさんのは、深刻そうだが」
「…………はい」
 言われてネリスが目を泳がせる。
「恥ずかしながら……子供の頃に、怖い思いをして……それから」
「そういうもんは、根深いかもな」
 出来ることなら治してほしい、俺まで眠れなくなるから。そうは口に出さず、ヤールが耳を掻く。
「あの……ありがとう、ございました」
「ん」
 昨日とは打って変わった空の眩しさに、どこか気持ちの付いて行かない二人だった。


2023.6.5

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