凍星   >      >

めぐ   ———  4・帰結

「……なあ、」
 見るともなく窓の外の暗い湖面を眺めていたネリスに、背後から声がかかった。衝立の向こうの声の主を振り向く。
「あのさ、……聞いてるか?」
「はい」
 ネリスがベッドに腰を下ろして返事をすると、ヤールが訥々と話し出した。
「……正直、ゆうべ、帰ってきてから……ほとんど覚えてないんだよ」
 今日一日考えてみたが、それも徒労に終わった。
「だから……もし、俺が何か……ろくでもないことをしてたら…………謝りたいんだが」
 しばしの沈黙。
 静寂に恐れをなすヤールの脳裏に、昼間聞かされた己の醜態が蘇る。

「…………きのう」
 やっと聞こえたネリスの声に耳を澄ます。
「とっってもお酒臭いヤール殿が帰って来て…………私の顔を見て、」
 一瞬の間にヤールが息を飲む。
「つまんねえ、と言いました。…………どういう意味ですか」

「……それだけ?いや、それだけ……を言ったのか?」
「……それだけ、です」

「………………すまん、わからん」
 クソみてぇな嘘つきだ、と自覚するが、致し方ない。正直になっても誰も得をしない。興味本位の他人以外は。
「本当に覚えてないんだ…………けど、おまえさんに嫌な思いをさせたのは、謝るよ」
 そっちに行っていいか?と聞くヤールの声に、ネリスは少し迷いながらも「はい」と答えた。
 神妙な顔のヤールが現れネリスの前に膝を付き、頭を下げる。
「悪かった。しばらく酒は飲まない」
 真剣な謝罪の言葉に、ネリスが居心地悪くなって、
「……わかりました。もう結構です」
 と答える。

 ゆっくりと立ち上がったヤールに、ネリスが聞いた。
「本当に……覚えてないんですか」
 自分を見上げるネリスの瞳が、何かを訴えかけているようで、実は大層なことをしでかしていたのではないかと疑念が起こる。が、ネリスがそれ以上発しなかったので
「…………すまん」
 とだけ答えて自分のベッドへ逃げ帰った。

 就寝の挨拶を言いそびれて、夜の静寂にランプの火だけが揺れる。
 ネリスの目はぼんやりと宙を泳いでいたが、頭はまた混乱の渦中にいた。
 もしかしたら自分は……ヤールが言った言葉の意味を理解して、その上で怒っていたのだとしたら?
 ……興味を向けてこないことに対して。
 ネリスにとって恐ろしい仮説を組み上げてしまい、それを信じられない、信じたくない気持ちに背を丸め、強く目を閉じる。

 ネリスの気配に気を取られつつも、何も言えないヤールが静かに寝返りをうつ。
(……俺、本当に、何もしてないよな…………?)
 下着はきっちり履いていた、という事実以外は一切の確信が持てない自分が嘆かわしかった。
 そっとランプの火を吹き消し、部屋を包む闇に紛れる。

 その夜からしばらく、ヤールの禁酒は続いた。


タイトルの意味……ヤルネリの関係性は寄って離れてを堂々巡りしているようでいて、螺旋階段みたいに徐々に発展している説から

2021.12

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